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2011年の夏から1年にわたって続けたこのブログが、今も毎日数百人の方々にみて頂けていると知り、正直驚いています。
長期間ブログを放置してしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、正式にこのブログの休止宣言と、新しいブログの紹介をさせて頂こうと思います。
ブログ「ブラウンの熊たち」
前回の更新があった2012年の9月から、ブラウンにやってきた才能あふれる後輩たちと、「ブラウンの熊たち」という留学情報発信プロジェクトを立ち上げました。
ここでは、ブラウン大学に通う現役生の記事が毎日更新され、留学ブログランキングでも一位を記録したほか、メンバーによる全国10都市での説明会ツアーは、日経新聞、朝日新聞をはじめ全国メディアでも報じられました。
自分一人でできることは限られている分、こうした学生団体を通した取り組みを今後も続けていければと考えています。
このブログをご覧になって、もっと留学について知りたい!と思われた皆様はぜひ、「ブラウンの熊たち」を訪れてみてください!
FBやTwitter、コメントページからはご質問もお受けしております。
留学の先にあるもの
現役学部留学生による「等身大の留学生活」を伝える活動の輪は2013年の秋から後輩たちのリーダーシップでどんどん広がっています。
一方で、自分の大学生活も残すところ1年となり、いよいよ卒業後の進路に向けて舵を切らねばならない時期がやってきました。
学生活動家としてのプロジェクト立ち上げや、スタートアップ、戦略コンサルでのインターンなどを通して、自分の情熱はビジネスの手法と知見で社会問題の解決に取り組む「ソーシャルアントレプレナーシップ」にあるとつい最近気がつきました。
目標を達成する第一歩として、この夏はアショカのワシントンDC本部でインターンをしています。
「ソーシャルアントレプレナー」という言葉を30年以上前に造語し、全世界に3000以上のフェローを持つアショカは、世界最大の社会起業家ネットワークです。
幸運にも、Social Financial Serviceという、市場や金融の力を使って社会問題の解決に挑む部門にMBA枠で入れてもらい、今はもう一人のインターンと新しいプロジェクトを立ち上げています。
上手くいけば、全世界のソーシャルアントレプレナーに読まれるかもしれないレポートで、日々緊張しながらも、DCの地の利を活かして飛び回っています。
具体的な進路は、まださっぱりわかりません。
一日も早く実戦で仕事をしたいという思いはありますが、社会人としての基礎的な足腰を鍛えることも大切だと感じています。
この一年は、さまざまな機会を自分の足で掴みにいきながら、難しい決断をすることになるだろうと思います。
僕は、こうして海外で自分の情熱を追求する度に、留学して本当に良かったと思っています。
でも、留学しただけでは人生は変わりません。
常に新たな挑戦の場を求め、自ら行動を起こしていく姿勢があった結果として留学しただけで、留学すれば進路に何の心配もなくなる訳ではありません。
可能性が広がった分だけ、自力で行動して決断しなければいけない部分が増えたからです。
今の自分は、ちょうど4年前に慶應でくすぶっていたのと同じ、一度自分の修行の場を自分で生み出さねばならない立場におかれています。
挑戦し続けるためには、どん欲にそうした環境を自分の周りに創り出すことが必要です。
新しいブログでは、留学体験という枠を越えて、留学の先に何があるのかについて、書いていこうと思います。
こちらもどうぞ宜しくお願いします。
Twitter:@tombear1991
新幹線で北京から30分。クラスメートからは「一緒にパーティーハードでNight lifeをエンジョイしよう!」と誘われるも、それではアメリカとまるっきり一緒なので、「もうチケット買っちゃった」とその場を辞して一路天津へ。
天津のこうした建築群は、戦間期には帝国主義を押し進める列強の暗躍の舞台であった。
天津時代の溥儀が暮らした邸宅「旧静園」
天津と日本を結びつける建物の一つ、静園は日本の傀儡となった後の清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が住まいとした。
4年生の論文を書かねばならない時期に毎日かなりの時間を取られる語学をするのは苦痛ですし、何よりその論文を書き上げる際に中国語の文献を多数引用しなければならないので、3年生のうちにそれなりの中国語力をつけておく必要があるのです。
注1)この文章は雑感なので、特に留学とは関係ありません。
注2)文中にページ付きで引用されている部分は、セネカ著大西英文訳「生の短さについて」(岩波文庫)をもとにしています。
「トモ、それは病気だよ。直さなきゃ。」とブラウンの友人に初めていわれたのはいつのことだったか。
多忙という病。
ブラウンへの入学が決まってから、一年が過ぎた。
たくさんの経験をした。「生活が一変する」とは、こういうことかと思う。
TFJで教師をした。
祖父の葬儀を仕切った。
留学前のひと月を教習上に日参して、免許を取った。
英語ができない不安に悩まされ、渡米直前にカナダで2週間語学学校へ行った。
ブラウンへ入学、まったくついていけない。聞き取れないし、伝えられない。貢献できない。
一学期が終わって持った感想は、「自分はゼロ以下」(”I’m less than nothing.”)だった。
不安と絶望を胸の奥にしまい込んで、初めて留学説明会を開き、記事を書いた。
自信満々に語りながら、このまま終わってしまうのではないかと危惧していた。
いろんな人に出会った。挑戦のために、リスクを取った自分を讃えてくれる人もいた。
ある人から、「学問のための学問なんて役に立たないんだから、大学時代は学費を自分で稼いで親孝行でもして、考えればいい。」といわれたのが、どうしても悔しかった。
なぜ悔しいのかはわからない。ただ涙がはらはらと流れて、「自分はまず学問で勝負するつもりです」と答えるしか無かった。
でも、そんな自信も実力もどこにも無かった。
第二学期が始まった。今期は留学生の宿敵、歴史も待ち構えている。
授業、ますますわからず、リーディングも増える。
教授とTAのオフィスアワーに通い詰める。
不出来な自分の質問にいつまでも答えてくれる、一人の人として向き合ってくれる彼らの存在に、僕はなんと恵まれているのかと落涙した夜は一夜ではない。
だから、できるまでやると決めた。
できないのは、できないうちにやめてしまうからだと思った。
少しずつ、進歩が見えてきた。
できないなりに、なんとか生き延びる道が見えてきた。
3.11の企画が本格化した。
連日、大量の宿題を抱えて、何時間も課外活動に費やした。
もう無理だ。何度思ったかわからない。
一緒にプロジェクトを率いる親友に言われた。
「トモ、勉強もプロジェクトも全部やろうぜ。だって、俺たち楽しいからやってるんだろ。」
最後になんとか踏ん張りきった。企画も試験も、なんとかなった。
徐々に、コミュニティーができていくのがわかった。
友人の輪は広がり、学部の教授とも信頼ができ、次第にブラウンは自分のホームになっていく。
帰国してしばらくすると、成績が開示された。
悲願のストレートA。
夏休みに一時帰国する3週間を僕は目一杯使った。いや、埋めた。
やりたいことは山ほどある。
友人たちとの再会ほど楽しいことはない。
学部留学をもっと広めたい、4回の説明会と講演会を開いた。取材も受けた。
時間の許す限りを、人と過ごした。いろいろな相談にも乗った。
興味のある人には事前にアポイントを入れて、話を聞きにいった。
お世話になった方々への挨拶もした。
ブラウンの友人と1週間旅行した。東京中を駆け回り、箱根の山道を20キロ歩き、名古屋で説明会、伊勢では4時起きで早朝参拝もした。広島まで行って、とことん日本を見せきった。
あっという間の3週間。本当に充実していた。
本当に、それが僕の望む生なのだろうか?
「忙殺される何か新たなものが古いものに取って代わり、期待が新たな期待を刺激し、野心が新たな野心を目覚めさせる。不幸の連鎖を断ち切る終わりが求められるのではなく、始まりが変わるだけなのである」(「生の短さについて」p57)
こんなに沢山のこと、それも有意義なことをしているはずなのに、砂を食むような虚しさが胸を突く。
のどの渇きに似た、強烈な不安と焦燥、抑えがたい衝動。
人と会うのは楽しい、でも気づけば疲れ果てている自分がいた。
無限に思える機会の前で、てんてこ舞いする自分がいた。
時間という資源の希少性を忘れ、選択をためらう自分がいた。
気づけば、焦りから逃れるために、スケジュールを埋めていた。
帰国した20日間、家族と共にした食事は片手にも満たない。
大切な友人からの、心配のメールにさえ、返信を怠った。
心躍る読書と思索の時間は、プレゼンの準備に消えていった。
「自分の金を他人に分けてやりたいと望む人間など、どこにもいない。ところが、自分の生となると、誰も彼もが、なんと多くの人に分け与えてやることであろう。」(p16)
人のために何かをすることは、それ自体決して無意味ではないと僕は信じる。
だが、そこであたかも自分には無限に時間があるように思い込んで、ただ断るのが申し訳ないために、あるいはただ、機会を逃すのが惜しい気がするために、自分のための勉強と思索の時間を安易に手放してはならないのだ。
常に心の中で機会費用を天秤にかけ、決断しなければ時間はいたずらに自分のもとから去ってしまう。
では、自分のために生きるとはどういう意味なのか。
「すべての人間の中で唯一、英知(哲学)のために時間を使う人だけが閑暇の人であり、(真に)生きている人などである。」(p48)
慶應での1年間、僕は悩み抜いた。
衝動の赴くまま人に会い、数百冊の本を読み漁り、いつも物足りなそうな顔をして、自分の将来について考えた。
今の自分には無い、もっと素直で切迫した好奇心と貪欲さがあった。
「この本を読まなければ死んでしまう」そう思って本を読んでいた。
人類の長い歴史の中で傑出した思想家の著述、美しい文学、起業家の気焔。
著者の人生に想いを馳せ、思想をひもとき、そこからなにがしかの教示を得ようとしていた。
いつの時代の人でも、何か問題意識や苦悩を持っている。
それはしばしば、現在の世界にも、自分ひとりの人生にも当てはまる。
この賢人ならどうするだろう、と自分に問い続けて僕は留学を決意した。
「彼はまた、あらゆる時代を自分の生涯に付け加えもする。彼が生を受ける以前に過ぎ去った過去の年は、すべて彼の生の付加物となる。」(p48)
「一人の本を読むことは、その人の人生を一緒に生きることだ。自分ひとりの短い一生で、何人分もの人生を生きることができる。だから、人は一生勉強し続けなければいけない。」
なぜ勉強しなければならないのかと問う幼い自分に、そう祖父は言っていた。
「時が今としよう。賢者はその今を活用する。時が未だ来らずとしよう。賢者はその未来を予期する。賢者はあらゆる時を一つに融合することによって、自らの生を悠久のものとするのである。」(p52)
人類の歴史に顧みて、今を想い、未来を描くこと。
それが今僕が本当にしたい勉強なのだ。
走り続けるのだからこそ、考え続けなければならない。
北京での語学研修の中休みに記す。
2万人以上の方が犠牲になった3.11から一年が経ちました。
自分自身、震災のときは東京の自宅におり、あわててテレビをつけたのを覚えています。
かなり揺れたなとは思いながらも、NHKをみながら、阪神淡路大震災のよう二ビルがなぎ倒されていたり、高速道路が崩壊したりしていないのを確認して、胸を撫で下ろしました。
その一時間後にテレビに流れる津波の様子は、あまりにもあっけのないものでした。
津波が押し寄せる前を自動車が疾走している、渋滞で立ち往生したかと思ったら、次の瞬間には濁流のなかに浮かんでいる。
そこに人がいて、ひょっとしたら今その瞬間にも、生命が失われているのかもしれない。そう想像することさえ難しいほど、あっけない、無機的な映像が流れていました。
その後の政府や社会の混乱は、典型的な日本人の短所を示すものとして取り上げられ、一方で、実際に被災し生死を分つ困難に接した人々の忍耐強さ、やさしさ、といった高い精神性は世界中のメディアから度々賞賛されました。
配給の物資を待ち受けて何時間も一列に並んで待つ人々の姿、日本中から駆けつけたがボランティアが必死に泥かきをする姿、そこにある種の日本らしい美しさを見いだした人も多かったと思います。
それから数ヶ月後、自分は渡米し、ブラウン大学に入学しました。
なれない生活をなんとか生き延びようとしながらも、歴史的転換期を迎えている日本で何もできない、という無力感に苛まれ、果たして自分が日本人として何ができるのか、という問いが常に頭を占めました。
3.11を経験した日本人として、将来その意義を後世に語らなければならない。そして、海外にいて泥かきも炊き出しもできない自分になにができるのか。そうした想いから、冬休みには短期ながら石巻にも足を運びました。
ブラウンで何かできないか、そう考えた日本人は他にもいました。
ある先輩が、3.11の追悼講演をアメリカの大学でできないかと日本人会に提案したのです。
2012年4月、ブラウン大学をオーガナイザーとして、ハーバード大学、ミドルベリー大学、ダートマス大学、プリンストン大学で五日間にわたり、3.11の追悼講演が行われます。
ミッションは、アメリカで3.11について学生の意識を喚起すること。
日本で緊急支援を行う二つのNPOの代表が各校を訪問し、各大学が誇るアカデミアとともに3人の講演者がパネルを行います。学生や研究者向けの講座以外にも、大学のアジア関連の学生との懇親会や、学者との対談も企画しています。また、チャリティー活動として、学生のデザイン公募で決まったTシャツも販売します。
講演者は、
木山啓子 JEN事務局長
神田望美 Power of Japan代表
の2名です。
お二方ともに、現地で日々復興活動に従事される中で、一週間というまとまったお時間を頂き、講演をお願いしています。それに見合うだけのイベントになるようにするのは、我々メンバーの責務だと、イベントひと月前になって改めて気を引き締めています。
自分に今できることは限られています。
その中で、何ができるのか、苦難の中にあって人の真価が問われるとき、自分になにができるのか。
J.F.ケネディの"Ask not what your
country can do for you - ask what you can do for your country"「政府が自分のために何をしてくれるのかではなく、今自分は国民のために何ができるのかを問うてみてください。」(拙訳)
という言葉を肝に銘じながら、残りひと月の準備を進めたいと思います。
最後に改めて、2011年3月11日の東日本大震災の犠牲となった方々のご冥福をお祈りいたします。
2012年3月11日 熊平智伸
公式ニュースhttp://news.brown.edu/pressreleases/2012/03/japan
公式ロゴ(ブラウンの学生がアート専攻のデザインし、公募で選ばれました)
チャリティーTシャツ(これもブラウンの学生とのRISD学生のコラボです)
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